LIFE STYLE

じいちゃんありがとう

時系列的にアレなんですけど、

今の感情を残すのが

当ブログの大事にしているところ

ってことで

今回はじいちゃんの話を

ここに残しておきたいと思います。

西日本旅行、ニセコ旅行みたいに

思い出記録を残す以上に

自分の感情をここに記す

これが僕にとって

ブログを残す大事な意味なので

私ごとの話をつらつら

書き綴ってみたいと思います。

お爺ちゃんが亡くなりまして

2月12日(日)朝8:30

北海道旅行の最終日

朝、

宿を出ようと準備をしていたら

母親から連絡があり、

「お爺さんが亡くなったよ」と

連絡が入りました。

、、、そうなんだ。

となんだか実感が湧かないような

素直に受け入れちゃうような

変な感覚でした。

うちの爺ちゃんは、

一年前から施設入っていて

それから会えていませんでした。

会いに行かなかった理由としては、

コロナのこともあるけど、

家に帰りたいと思うじいちゃんに

会いに行くことで混乱させちゃわないように

みたいな感じです。

それと、

おじいちゃんの性格が

周りが離れてしまう

理由のひとつだったかもしれません。

自分の主張が強い感じで

かなり頑固な人でした。

自分が納得いかないことがあれば

うちの両親やら婆ちゃんに

よく文句というか我を通す発言を

していた気がします。

孫には優しいけど、

そんな光景をよく目にしていました。

そんな爺ちゃんだから

年をとって困った時に

周りが優しくサポート

してあげようって気に

あまりなれなかった部分もあると思う。

だから、

亡くなったことを聞いた時、

少し悲しい気持ちになったけど、

そこまで気持ちをもっていかれることは

なかったです。

94歳という大往生したってのも、

そう思う理由のひとつかもですが。

そんな気持ちで帰宅して

爺ちゃんと対面したのだけど、

やっぱりそこでも

もっとみんなに優しくしておけば

みんなもっと優しくできたのに。

みたいな感覚がありました。

自分の意見を優先するより、

周りの優しさに感謝してたら

もっと最後まで

みんな優しくいられたんだろうね

って気持ちが出てきてしまう。

これについては

僕も血を受け継いでいるのだと思います。

自分が相手を思って

行動することはできるけど、

相手の気持ちを推し量ったり、

汲み取るというのはすごく苦手で、

大なり小なり

爺ちゃんと同じような性格なんだと思います。

それでもやっぱり、

これは変えたい性格。

周りの優しさにちゃんと感謝をして

自分の意見を大切にしつつ、

相手に思いやりを持ち接する。

苦手でも、

自分の意見を押し通した先に

健全な人間関係を生まれないことを

学んだ気がします。

通夜・葬儀を終えて

じいちゃんを反面教師みたいに

書いてしまったけど、

通夜・葬儀を終えての気持ちも

こちらに残しておきたいと思います。

通夜

通夜が始まる前に

親族だから早めに行くじゃないですか。

そこでじいちゃんの写真が流れていて

、、、涙溢れちゃいますね。

頑固な印象が強かったじいちゃんでも、

曾孫をあやす姿や

婆ちゃんと楽しそうな

ツーショットがあったり

爺ちゃんがいてくれたおかげで

今の自分がいるわけで

感謝の気持ちしか出てこなったです。

いつも「婆さんはどこだ?」

って言ってたのも

婆ちゃんのことが

大好きだったんだなぁって

婆ちゃんがボケちゃった時も

自分がしっかりしないといけない

って気持ちが

強かったんだろうなぁ。

そんな写真が流れてくる最後の方で、

僕が大学生の時に

家族と親戚を

北海道に招待した時の

写真が出てきて

全然お爺ちゃんお婆ちゃん孝行的なこと

出来てなかったけど、

元気な時に

こうやって楽しませることができて

ほんと良かったなぁ

ひとつでも自分が思い出を残せてあげて

良かったなぁと思いました。

この良かったは、

多分自分への言葉かもしれない。

じいちゃんは、

年齢的にすごく大変な

車移動だったかもしれない。

それでも、

自分本位な考えかもしれないけど、

「思い出を作ってあげられて良かった」

そう思って残りの人生を過ごせることは

後悔が少ないというか

ありがとうの気持ちで

お別れができた気がします。

告別式

翌日(2月19日)に告別式をしました。

最後のお別れを告げることができて

当たり前だけど、

ちゃんとその場で

お別れのセレモニーに出席できて

良かったと思えました。

じいちゃんを見届けられて良かった。

じゃなかったら、

じいちゃんには感謝の言葉より先に

「もっとこうしておけば良かったのに」

って感情が先に出ていたと思う。

子供のとき、

良典の家まで

毎日のように

送り迎えしてくれてありがとう。

駅までの送迎で

踏切が鳴っているのに

「じいちゃん行って!」

って言ったら

ブーーーンって毎回行ってくれてありがとう。

僕が作ったラーメンを

美味しいって食べてくれてありがとう。

いつも優しく声をかけてくれてありがとう。

北海道からの帰りを

待っていてくれてありがとう。

ほんとはたくさんありがとうなんだけどな。

「ゆうくん、これ食いな」って

何度もいらないって言っている僕に言ってきて

何度もイラッとした口調で

「いらないって言ってんじゃん!」

って言ってごめんなさい。

じいちゃんの優しさを受け止めてあげなくて

ごめんなさい。

お婆ちゃんがボケちゃった時

寂しかっただろうな。

大好きなばあちゃんに

自分のことを忘れられたとき

、、、ものすごく悲しかっただろうな。

「婆さん、俺のことも分からんのか」

僕がその時聞いた言葉より、

今思うとその言葉の刹那さが

より一層感じてしまいます。

毎日、仏様の前で拝んでたけど、

天国に行けたのかな。

「毎日拝んで天国行けたら世話ないわ」

みたいに思ってたけど、

もし神様が見てくれていたのなら、

せめて毎日拝んでいたじいちゃんは

天国にいかせてあげてください。

、、、もっと感謝の気持ちで

優しくしてあげられたら良かったのにな。

じいちゃんがいてくれたおかげで

今の自分がいてるんですよね。

当たり前のことだけど、

こういうのってなかなか気付けないです。

これから今まで以上に一生懸命生きます。

どうせ最後は死ぬだけなら、

ちゃんと後世の人たちに引き継げるもの、

思いを形にしていきたい。

自分の人生

自分のために全力で生きる

みたいなのが

僕のポリシーというか

大事にしていたことだけど、

それって結局

何も残らないんですよね。

周りの人を大事にする

周りの人に優しくする

後世を担う人たちに

こういう思い、意味を植え付ける。

それがより良い豊かな人生なんかなと

思ってみたりみなかったりの

じいちゃんの葬儀でした。

じいちゃん、ありがとね。

安らかにお眠りください。

天国から、

大立ち回りする孫の姿を

見ていてください。

宇部の名を轟かせます

耕雲種月

じいちゃんが、

あの世で使う名前を

お坊さんが付けてくれました。

「種月敏道居士(しゅげつびんどうこじ)

これは、

敏男の文字を1つもらったのに加えて

禅語の「耕雲種月(こううんしゅげつ)

からきている名前みたいです。

耕雲種月とは

「雲を耕し、

月に種を植えるように、

高い理想を持ち、

それに向かって努力すること」

だそうです。

これを要約してくれている文が

あるのですが、

「雲は同じ場所に留まっていない。

現れては消える【無常】の象徴と考えられています。

その雲を耕して、

そこに隠れたり、

見えたりする仏性の月に

自分の善根を植えることが、

何れ大きな結果を得ることになる

という意味。

だそうです。

種苗を扱っていたじいちゃんにとって

バシッとくるような引用元ですね。

なんなら、

僕がこれから目標とするテーマ自体が

耕雲種月なんじゃないかなと。

「雲を耕し、

月に種を植えるように、

高い理想を持ち、

それに向かって努力すること」

自分の理想を掲げて、

種を蒔いて、

愚直に大立ち回りをする。

うん、いいね。

種を月に植える

これを別の言い方をしたら

それは ロマン ですね。

農業にロマンを持ち込みましょうぞ。

あとあれです、

「道」という言葉が使われてるのは

嬉しいですね。

ロングトレイル、北海「道」

僕にとっても

愛着を持てる名前です。

まとめ

なんか途中

涙出ちったよ。

でもそれで良いの。

感情をここに置いておく。

後戸を閉めるのです。

そして前を向く。

それで良いの。

じいちゃんに線香をあげては

「耕雲種月」

種を月に植えるロマンをやってるか

これを問いかけてくれる気がします。

僕が忘れてなければ。

よし!!

ここまでお付き合いいただき

ありがとうございました。

明日から石垣島行ってきます。

…どういう気持ちの切り替えですか

って感じですね。

これぞ、THIS IS ME

私、サイコパス男(お)ですからね。

切り替えて

2月の後半戦も

イケイケどんどんで

がんばりましょう!!

ではまた!