LIFE STYLE

被災してから2年経って思うこと

おはようございます。

9月9日、今日という日の2年前

令和元年台風15号により、鋸南町は壊滅的な被害を受けました。

そんなこともあったなぁくらいの人が大多数ではないでしょうか。

今回の長雨による被害などをテレビで見て、辛い気持ちになる一方で、1週間、2週間もすれば忘れてしまうのだろうなと、相変わらずサイコパスのような考えを持ち合わせているのが私です。

でも、多くの人が言葉にしないだけで、どこか過ぎ去ったもの、みたいな扱いをしているんじゃないですかね。

しかし、被災した側というのは、その先の見えない辛さが長らく続きます。

国の支援は本当に施されるのか

借金をした途端、事業の該当ではないとハシゴを外される可能性だって大いにあり得るのが国の支援事業だとも思っています。

被災から2年

被災したことがようやく過去のこととなり、新しいスタートラインに立てそうな心境でもあります。

なので今回は、そこらへんの話を書き綴っていきたいと思います。

被災したことを過去のことか現在のことか、その考え方、捉え方は本人次第でもあると思うので、配慮がかけてるとかいうコメントは一切受け付けておりませんので悪しからず。

被災した直後の状況

台風が通過している深夜は、家が気圧のせいか風のせいか、呼吸をするように「べコッべコッ!」と音を立てていたことを思い出します。

最大瞬間風速は60mとかだった気がします。

本当に、家の屋根が飛ばされるんじゃないかと思えるほどの恐怖でした。(実際屋根が飛ばされた家も多かったです)

いきなり脱線ですが、台風前夜、僕は呑気に東京へ飲みに行っていたんですよ。

実際、雨も風もそんななかったし、この日はバンコクからきたゆかりさんの誕生日party!!

北海道からヒトシさんもきていたり、絶対出席案件だったのです。

partyが21時開始だったので、僕はサムくんとヒトシさんと0.5次会。

そんなタイミングでヤフーニュースか何かに「内房線20時以降運休」の文字が

「うっわ、最悪、雨降ってないじゃん」

みたいな文句たらたらな私だった訳ですが、先に宣言されちゃ帰らねばって話です。

結局、しやしや雨の中帰宅しました。

その時は21時くらいだっただろうか。

風が少し吹いてるなぁくらいだったんです。

そうこうしていると、風も雨足もどんどん強くなり、日付が変わった頃には、家が呼吸しているかのように「ベコッベコッ」と音をたているんです。

ウェザーニュースで台風の位置を確認してみると、えげつない感じになっていました。

翌朝、6時に役場召集があったのですが、その前に温室ハウスの被害状況を確認。

もう最悪でしたね。

言葉にならないって感じ。

嘘だろう、、、って

急いで役場に向かう道中、家が崩れて道が塞がっていたのでバックで迂回したり、海沿いの地域は本当に凄まじい光景でした。

役所についてからは、一通りの被害状況を把握するために、班編成をして被害状況をリスト化。

それからは、本当に地獄のような働きぶりでした。

日中は林道の倒木処理で汗をかき、18時から終わりのない事務仕事をする感じでしたが、この林道整備で汗をかくことがなんだかんだ気分転換になっていました。

そんなこと言ってはダメなんでしょうけど、それほど災害の事務作業ってメンタルズタボロだったんです。

この林道が崩れたことで、僕の人生が180度変わってしまったと言っても過言ではないけど。。。

あの辛さを思い返すと、もっと頑張れる!なんて思いにもなります。

復旧までの道のり

役所での悲惨な話は今回は割愛しましょう。

我が家は、一部損傷程度で大きな被害はなかったのですが、温室ハウスは壊滅的な被害でした。

父さんはもう体力的に全然動けないし、僕も連日連夜役所の仕事で手一杯で家の手伝いは0に等しかったです。

そんな中、僕の友人や親戚のおじさんが手伝いに来てくれて、復旧活動に協力してもらいました。

中でも、親戚のおじさんについては、この2年間、ほぼ毎週のように千葉から来てくれています。

親戚のおじさんとこの歳になって、こんなペースで会うかいな!って感じだけど、一緒に過ごした時間はとても元気をもらえたし、本当に感謝してもしきれないほど助けてもらいました。

2020年3月で役所を退職してからは、ハウスの解体、瓦礫の撤去等、お金にならないことをひたすらこなす日々を過ごして、ようやくこの2年が経ったタイミングで、被災前とほぼ同じ状況というかスペックまで持ってこれた気がします。

 

お仕事自体も、比較的順調に回っていて、とりあえずスタートラインには立てたぜ!って感じです。

2年が経ち思うこと

当時のことを思い出すことは「忘れてはいけない日」として大事なことです。

ただ、そこに止まっていいかは別問題。

もう2度とこういう目には合わないといいなと思うことも、また違う。

同じことが起きたときに、

あなたは被害を最小限にする努力をしていますか?

発電機の購入、必要最低限の避難道具、1週間分の備蓄食料

同じことが起きた時、自分はどういう行動をしなければいけないか、ここまで落とし込むことが大事です。

全国的にみても、「100年に一度の台風」「観測史上最大、、、」なんて言葉が当たり前のようにされています。

もうあんな思いをしたくない!で思考停止している場合じゃないんです。

農業をやられている方は、収入保障等保険を見直しをした方がいいかもしれません。

これからいつ起きてもおかしくない災害とどうやって向き合っていくか。

一度、家族と話し合う機会を作ってみてはいかがでしょうか。

僕自身も、そうしようと思います。

まとめ

今回は被災から2年が経った所感をまとめてみました

人生まだまだこれからだ!!

僕はこの台風がなかったら、今も鋸南町役場で働いていたかもしれません。

そう思うと、このタイミングで農業をやれていることはすごく良かったなぁと思ったりしています。

だってさ、いつかは農業をすると思っているなら、絶対早い方がいいよって思うんですよね。

農業に限らず。

税金の勉強とか、事業のこととか覚えることがいっぱいなんだもん。

それに、被災して0スタートだからこそ、伸び代しかないんですよね。

だから全然頑張れる。

ブルーベリー農園を絶対鋸南町につくります。

そんな僕みたいな農業を明るく捉えている若者が、5人でも10人でも「おっ鋸南町で農業するの面白そう!」なんて感じで来てくれたら、すごい盛り上がりができると思うんですよね。

1億総活躍社会というか、とりあえず若い人が10人くらい地域に根付いて、各々が地域の魅力をこれでもかってくらい発信してれば、明るいまちづくりに貢献できると思っています。

ちなみに、鋸南町の若手農家は山田くんっていう大黒柱がいるので、宇部は画期的な飛び道具としてポジショニングをとって頑張っていきたいと思います。

いやーーーいいですね。

やるっきゃないって感じで精進していきますので、今後ともよろしくお願いします。

ではまた!!