HIKING

アメリカ縦断4,265kmの旅日記(24日目)

7時に起床。
昨日は疲れ果てていたがばっちり回復。
やはりベッドで寝られるのは最高だ。
昨日の夜、スケッチもカホンからここに来ていたようだ。
午前中はスケッチとてるおさんとカフェへ。
ハイカーはコーヒー無料というのだから驚きだ。
     
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天気はまずまずといったとこだが、
気温は低く、山の上は厚い雲が覆っている。
昨日山で過ごした人に会ったが、
尋常ないほど寒かったようで戻ってきたようだ。
雪も膝下まできていたとのこと。
昨日の選択は正しかった。
宿に戻るとビッグベアぶりのFMに再開。
ピザをもらった。
少し街を散歩をしていたら晴れてきた。
今日中に登山口に行き、
明日の朝一から歩くことを決意。
そうすると、アクトンに行くのにニアゼロを狙えるからだ。
16時半、ヒッチハイクをしてすぐにelizabethというおばあちゃんが乗せてくれた。
僻地な場所だったので、
こっちに家があるのかと聞くと、
僕のために行ってくれると言うではないか。
海外の人を自宅に受け入れるボランティアをしているのだとか。
トレイルエンジェルの存在も知らない、
ただただ親切な人だった、びっくり。
そして落石跡の多い長いウネウネ道を50分ほど走り、
ようやく目的地にたどり着いた。
ただそこには、
フットプリントのない20cmはあろう雪景色。
少し歩いてみたが厳しい。
おおよそ予想はついていたが、
やはりここで一晩越すことに不安になってきた。
そんなことを知ってか、
おばあちゃんは心配してくれて、
今日はうちに泊まれという。
わざわざこんな遠いところまで送ってくれたのに申し訳ない気持ちもあるが、
ここは意地を張らず戻ることに。
そんな帰り道、
散々気をつけて運転してくれていた瓦礫を踏んでしまい見事にパンク。
ついてない、
そして自分のために運転してくれてこんな目に合わせてしまい、
申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
そして、ここぞとばかりにタイヤ交換に試みる。
しかし、車道が傾いている上に地盤がぬかるんでいて横滑り。
ジャッキが壊れるという事態、最悪だ。
外の気温もみるみる下がり始める。
震えが止まらない。
おばあちゃんも携帯がなくて途方に暮れている。
そうこうしていると一台の車が止まって声をかけてくれた。
彼の持っていたジャッキはパワフルなやつだったおかげで、
なんとかタイヤ交換ができた。
これで帰れると喜んでいるのも束の間、
今度はバッテリーがあがってしまっているようだ。
3人とも天を仰いでお手上げ状態。
そこへPCTAのパトロールカーが通り、
バッテリーをチャージしてくれるではないか
この時点ですでに19時を回っていた。
自分が今日中にトレイルに戻ろうと考えなかったら、
迷惑をかけずに済んだのにと後悔。
おばあちゃんが「お金は簡単だ」と笑い、
ジャッキのおじさんにお金を渡す。
おばあちゃんは
「気にしないで良いんだよ、もう2度と石を踏まないと誓うわ、良い経験させてもらったよ」と笑って優しく接してくれる。
その優しさが辛くさせる。
明日もまた、おばあちゃんが片道50分かけて送ってくれると言う。
なんならアクトンまで送ってやると言う。
こんな思いをさせてしまったのに、、、
もうなんだかこんな自分が嫌になってしまった
お金を払おうも払う必要はないという。
おばあちゃんの家に泊まることで、
間違いなくベッドで寝れるし食事も頂ける。
ただ今の自分には、
おばあちゃんの優しさが痛いほど重荷になって辛く感じてしまう。
ここまでお世話になっておいて、
本当に恩を仇で返しているのは承知だが、
宿泊を断ることにした。
耐えられなかった。
なんでこんなに優しく出来るのだろうか、
辛くなる。
旅人はすごくない。
いつももらってばかりだ。
自己批判をして気持ちが沈んでしまっている。
トレイルエンジェルがしてくれる優しさとは何か違うものを感じた。
時間がある時に、メールをしよう。
教会に戻り一通りみんなに説明する。
とにかく、無事に帰ってこれて良かった。
夕方の短時間でいろいろあり過ぎて疲れた。
明日はどうしようか、、、なんだかどうでも良いな、明日考えよう