鯨の道って何?

いきなりですが、みなさんは「鯨の道」ってご存知ですか?
僕が初めて耳にしたのは、2019年のロングディスタンスハイカーズデイ(通称LDHD)でのこと。
Trails の皆さんが、独自にルートを選択し、名称をつけて歩いたこの道について、お話されていたのがきっかけです。
「鯨の道」とした由来は、捕鯨文化が今なお残る南房総和田浦と、房総捕鯨発祥の地である鋸南町勝山を結んで歩いたことから来ていて、南房総を横断するルートとなっています。
Trailsは、僕が度々お世話になっている根津さんが所属している団体で、みなさんともよろしくやらせてもらっている仲なので、勝手に親近感沸かせています。
というか、早い話がこちらの記事を読んで貰えば、僕の説明なんぞよりよっぽど伝わるのではっておきますね。
僕が好きな記事でもあるので、是非こちらをチェックしてみてください。
そんなこんなで僕がしのごの書く必要は皆無ですが、僕も「鯨の道」を近々歩くぞ!というモチベーションを高めておくためにも、ここに綴らせてもらいます。
捕鯨文化〜意外と知られていない我が町の魅力〜

知っていましたか?
我が町、鋸南町は房総捕鯨文化発祥の地ということを!!
その歴史は古く、400年前の江戸時代まで遡ります。
この話に欠かせないのが、みなさんもご存知「醍醐新兵衛」知らねーよ
当時は500人からなる捕鯨組織があり、その親玉が醍醐新兵衛なのです。
勝山には、大黒山という海沿いにぽっこりしたお山があるのですが、そこが当時の鯨見台として使われていたそうで、頂上から船に乗っている漁師に手旗信号を送り、鯨の漁をしていたそうです。
東京湾に鯨がいて、漁ができるほど産業になっていたことに驚きますよね。
とはいえ、やはり鯨がとれることはレアだということが、当時詠まれた歌から分かります。
「勇魚とる 安房の浜辺は 魚偏に 京という字の 都なるらん」
要するに、鯨によってこの町は京の都のように栄えていたという話だそうです。
それに、鯨って余す所がなく利用できるそうで、肉は食用、脂肪は油、血は肥料など、一匹捕まえたら栄える情景も目に浮かびますよね。
また、和田浦では、鯨の漁や鯨を食す文化が今でも残っています。
鋸南町や近隣の旧富山町でも、食育の一環でやっていたりしますので、今も受け継がれているってことですね。
鯨の道の魅力

これは歩いてみねば分からない。
それでも南房総の自然がどういうものかは、少なからず知っています。
地元だということはもちろんだけど、行政職の時は、何を隠そう林業担当だったのですから!!
被災した時は、林道の復旧工事が原因で連日連夜パソコン、、、
黒歴史の話はまたの機会にしましょうか笑
そんな僕が思う南房総の自然美は、なんと言ってもぽこぽこした小さな山間に、段々畑や集落が広がっている光景です。
北アルプスのような雄大な景色はありませんが、なんとも田舎らしいノスタルジックな光景が魅力なのです。
根津さんは「秘境というより陸の孤島」という表現をしていますが笑
そんな景色を眺めながら歩くこの道は、地域を身近に感じられるトレイルに違いないとも思うのです。
それだけではなく、意外にも山に入ると植生が豊かで、森を感じることができます。
南房総の山といえば、鋸山!
それもそうなのですが、その他にも富山、津辺野山、房総のマッターホルンこと伊予ヶ岳など、見どころのある山々が存在するのです。
Trailsの記事にも、そのような見どころ万歳感が随所に表現されていて、なんだか気持ちがほんわかします。
終わりに

少し書いてみたけど、やはり文章で伝えるって難しいというか、歩いてもいないので話が薄っぺらくなるなと察したのでこの辺でやめておきます笑
Trailsの「鯨の道 後編」に書かれている根津さんのあとがきがあるんですけど、いい話してるんですよね。
是非、ここまで読んでくれた優しい方は、チェックしてみてね。
そしていつか、鯨の道を歩きにいきましょう!!